こんにちは chan mamaです。
今日は、「仙台の七夕祭り」について書いてみようと思います。
ところで、「七夕」と聞くと、日本人の私たちは7月7日に短冊に願い事を書いたりして笹竹に飾り物をした経験が一度はあるのではないでしょうか?
子どもの頃は、特に訳も分からず、夏の細やかなイベントとして捉えていたので、準備された短冊に「欲しいゲームが買ってもらえますように」とか、「夏休みに遊園地に連れて行ってもらえますように」なんて、身近な楽しみにしてる願い事を書いていませんでしたか?
時期になると、笹竹の飾り物を折り紙で作ったりもしましたよね。
仙台の七夕の祭典では、紙と竹で作られた大きくて華麗な飾りが特徴です。
皆さんが知っている七夕の物語は、年一度「織姫と彦星」が合うことができるというお話ですよね
「織姫と彦星」 昔々、天の川のそばには天の神様が住んでいました。天の神様には、一人の娘がいました。名前を織姫と言いました。織姫は機を織って、神様たちの着物を作る仕事をしていました。織姫がやがて年頃になり、天の神様は娘に、御婿さんをむかえてやろうと思いました。色々探して見つけたのが、天の川の岸で天の牛を飼っている、彦星という若者です。彦星は、とても立派な若者でした。織姫も、かがやくばかりに美しい娘です。二人は相手を一目見ただけで、好きになりました。二人は結婚して、楽しい生活を送るようになりました。でも、仲が良過ぎるのも困りもので、二人は仕事を忘れて、遊んでばかりいるようになったのです。すると、天の神様のもとへ、皆が文句を言いに来るようになりました。「織姫が機織りをしないので、皆の着物が古くてボロボロです。早く新しい着物を作って下さい」「彦星が世話をしないので、牛たちが病気になってしまいます」神様は、すっかり怒ってしまい「二人は天の川の、東と西に別れて暮らすがよい」と、言って、織姫と彦星を、別れ別れにしたのです。でも天の神様は、織姫があまりにも悲しそうにしているのを見て、こう言いました。「一年に一度だけ、七月七日の夜だけ、彦星と会ってもよろしい」 それから、一年に一度会える日だけを楽しみにして、織姫は毎日、一生懸命に機を織りました。天の川の向こうの彦星も、天の牛を飼う仕事に精を出しました。そして、待ちに待った七月七日の夜、織姫は天の川を渡って、彦星の所へ会いに行きます。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
こんな少し切ない物語を思い出し、七夕の夜は、晴れていれば天の川がきれいに見える夜空を眺めてロマンチックな気分に浸ったことがあるのは、私だけではないでしょう。
そもそも彦星と織姫の物語の原型(由来)はどのような物語なの?なぜ短冊に願い事を書いて吊るすの?
日本で現在親しまれている七夕は、日本古来の風習や中国由来の伝説が掛け合わさってできたものとされているんですって。
七夕の由来とされている、3つの風習って?
1.七夕と言えば、織姫と彦星の伝説ですよね。中国ではそれぞれ織女(しゅくじょ)と牽牛(けんぎゅう)と呼ばれていて、天空の主である天帝の娘の機織り名人だった織女が、牛飼いの牽牛と恋に落ちて結婚。
しかし結婚後、働き者だった2人は仕事をしなくなってしまい、怒った天帝が2人を天の川の両岸に引き離してしまった。
悲しみに暮れる織女をかわいそうに思った天帝は、年に一度だけ2人を合わせるように計らった、というのが伝説のあらすじなんだって。
2.笹飾りに短冊を吊るして願い事をする風習。これは中国の「乞巧奠(きこうでん)」と呼ばれる儀式が由来とされてるんだって。
乞巧奠とは、祭壇に針などを供えて星に祈りを捧げて、織姫にあやかって「機織りが上達するように」って願う中国の風習なのだそうです。
3.七夕の際は、願い事を書いた短冊や、折り紙で作った七夕飾りを笹に吊るすのが一般的ですよね。実は、それぞれの飾りにも意味が込められているそうです。
笹に吊るす短冊は、昔は和歌を書いて学問とか書道などの上達を願っていたそうですが、現在は、学問などに関わらず、個人の願い事を書いて吊るしていますね。
七夕飾りの短冊は赤・黒(紫)・青・白・黄の5色が一般的で、中国の五行説が影響してるとか。
五行説とは、世の中のすべては火・水・木・金・土のいずれかに当てはまって、それぞれが影響し合っているとする自然哲学の考え方。
火が赤、水が黒、木は青、金が白、土が黄色。日本では、黒色は縁起が悪いという理由から、高貴な色である紫に変化したんだって。
なぜ仙台で盛大に七夕祭りを行うの?
仙台七夕まつりは、江戸時代に仙台藩祖(はんそ:それぞれの藩を統治する創設者)・伊達政宗公が女性の文化向上を奨励するために始めたのが由来なのだとか。以来仙台の伝統行事として民衆に広まって現在の様式になったそうです。
でも、明治時維新の改革や新暦の採用、戦後の不景気で全国的に七夕まつりの開催頻度は衰退。
そんな中、不景気を吹き飛ばして仙台七夕まつりを復活させよう。と1927年に仙台商人の有志たちが華やかな仙台七夕まつりを復活させたんだって。
翌1928年には、もともと旧暦だった開催日を季節感に合わせるために、新暦に1カ月を足した中暦を使って8月6日から8日までの3日間の行事として変更されて。それから年々規模が大きくなって、仙台七夕まつりは、今では毎年200万人以上の観光客が訪れる日本一のスケールの七夕の祭典になったそうです。
コロナ禍でいろいろなイベントが中止になって、活気のない数年間が続きました。
今年の夏は、各地でお祭りやイベントが再開して、やっといつもの夏が戻ってきた。って実感してます。
近所の小学校から、恒例の盆踊りのにぎやかな音楽が聞こえてきて、浴衣姿の子どもたちを見かけるとなんだか穏やかな気持ちになりました。
仙台まで行って現地の賑わいを感じることはできませんが、いつか行ってみたいと思います。
Chan mama