安田顕(ヤスケン)さん「北海道室蘭で生まれ育った安田少年、破天荒でネタが尽きない父の存在」

俳優

 

今回は、俳優【安田 顕】さんについてお調べいたしました。

物腰が柔らかくて、優しそうな甘いマスク、映画・舞台・ドラマ・CMなどで人気が上昇し続けている「ヤスケン」さんこと【安田顕】さんの魅力に迫ってみましょう!

俳優【安田 顕】とは

名  前:安田 顕(やすだ けん)本名です
生年月日:1973年12月8日
出 身 地 :北海道室蘭市
身  長:174.0cm
血 液 型 :A型
愛  称:ヤスケン
配 偶 者 :既婚(2002年結婚)
北海学園大学演劇研究会出身の劇団ユニット
TEAM NACS(チームナックス)のメンバー

「安田顕」の出身と家族

安田顕さんは、北海道の室蘭市に生まれ育ちました。

室蘭は、江戸時代、松前藩の交易所(絵鞆場所)があり、北前船の寄港があったとはいえ、明治初めは人口 600 人弱の寒村に過ぎなかった。
ところが、鉄道の敷設、港湾の整備、そして鉄鋼事業所の設立によって、急速に「鉄のまち」として発達した。
戦前の室蘭市は、まさに工業都市、しかも、軍需の鉄鋼業を中心とした「鉄のまち」でした。
鉄のまち・室蘭市の盛衰と再生:引用

父(弘史さん)は「鉄のまち」室蘭の鉄工所の下請けで働き、鉄鋼業か衰退していった時代は溶接工として単身で出稼ぎに行くなど働き者のだったそうです。

弘史さんはお酒が大好き。いつも陽気に酔っぱらっていたとか・・・
安田顕さんのお酒好きは、父親譲りのようです。

母(和江さん)は、保険のセールスをしていました。
弘史さんが一目ぼれして、射止めた女性で、父は今でも「かずちゃん」と呼んでます。

兄(史生さん)二つ年上の兄は、作曲家、作詞家、音楽プロデューサーとして活躍している方です。

安田顕さんは、そんな家族の次男坊で甘えん坊だったそうです。

学校から帰って来ても誰もいないので、いわゆる「鍵っ子」の少年時代、寂しくて母親の会社に度々電話をしていたそうです。
そんなは時、母(和江さん)は、仕事を抜け出して帰って来て一緒の時間を過ごしてくれたんだとか。

微笑ましい光景ですね。

「安田顕」の学生時代

●室蘭市立絵鞆小学校(むろらんしりつえとましょうがっこう)
2棟の円形の校舎が特徴的な建物で、児童数の減少により2015年3月に閉校になっています。

安田顕さんは、小学生の頃女子と男子トイレの仕切りの隙間にうずくまることが何故か好きだった『隙間フェチの小学生・・・』だったそうで、隙間や隅っこがなぜか落ち着く場所だったのでしょうね。

●室蘭市立室蘭西中学校(2013年4月に港南中学校と北辰中学校の統合校として開校した新設校です)

父(弘史さん)の友人「くぼのおじさん」の影響で、中学時代に『ビートルズ』に夢中になり、大人になってからでしょうか?大阪ドームで初めてポールマッカートニーを肉眼で見た瞬間に感動して嗚咽を漏らして泣いたそうです。
少年の頃からの、憧れの大スターの生ライブ!感動しますよね!

●北海道室蘭栄高校

高校時代の安田顕さんは、柔道部員。
ジョンレノンに憧れ、バンドを組んで学園祭で演奏。ギターを担当。しかし、恋愛にはとっても奥手な安田少年、クリスマスイブに好きな女の子に夜中に映画の誘いの電話をして冷たくふられたとか・・・青春時代の切ない思い出。

●北海学園大学・経営学部

大学時代の安田顕さんは、実家を出て下宿生活。自転車で大学へ通っていました。
(第一志望の大学は国立大学の北海道教育大学釧路校で、試験当日に胃痙攣を起こし受験できなかったとか・・・)
大学で演劇研究会にたまたま入会!そこでTEAM NACS」のリーダーの森崎博之さんとの出会いました。
(サークルの模擬店でとっても騒がしくて楽しそうだった演劇研究会に遭遇、根暗な自分が明るくなれるかな?なんて思いから入会、俳優志望だった訳ではなかったみたい)
「TEAM NACS」は安田さんと森崎さんの卒業記念のための1度限りで結成されたユニットだったそうです。

「安田顕」俳優になる!

卒業後、北海道旭川市の総合病院の歯科医院に事務職として就職。
当時の先生は綺麗な女医さんだったそうですよ!
8か月という短い期間で辞めてしまいましたが、沢山の入院患者さんの入れ歯作りの裏側にあるエピソードに触れ、「最後にまた食べたい。という欲の大きさって、最期まで生きようとする力の強さなんだ」ということを学んだそうです。

ちなみに、安田顕さんは「man-hole]という北海道を舞台にした映画の主役として抜擢された際、監督から撮影に入る1か月前に「歯並びを直した方がいいかもね」とアドバイスを受け、貯金をはたいて差し歯にしたそうです。

俳優のお仕事って大変ですね・・・

TEAM NACS」の話題に戻りますが、1997年8月に森崎さんの呼び掛けで再結成しました。
大泉洋さんが「水曜どうでしょう」に出演して、人気ローカルタレントになり、安田顕さんも25歳の頃からこの番組に出演するようになりました。

その後、本格的にテレビドラマに出演するようになって、人気俳優となっていきました。

「安田顕」交際8年、陰で支え続けた女性と結婚

札幌の大学で一学年下の女性と知り合い、8年付き合って結婚!

同じ札幌の大学で知り合い、初めてのデートは「地下鉄?」だったそうです。
大学の近くの地下鉄の駅でばったり出会い、世間話程度しか交流はなかったそうですが、お互いに好意に思っていたのでしょうか「よかったら終点まで乗ってみませんか?」と声を掛けたら・・・「いいですね」とお返事をくれたそうです。

そんな出来事がきっかけで、8年間の交際を経て結婚。

その後、娘さんが生まれ、父親となった安田顕さん。

まとめ

安田顕さん、現在49歳
父親の弘史さんに様々な影響を受け、自身の父親としての経験が、役者としての魅力を作り出しているのだと思います。

生まれ育った、北海道をこよなく愛し、俳優という仕事を続けていく上で、少年時代のよき環境が、様々な役を演じる安田顕さんの素朴な演技の源ですね。

年齢を重ねるごとに、味が出てくるヤスケンさん、これからも注目の俳優さんです。

 

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