ずん飯尾 和樹 バラエティーが大好きで諦めずに続けた芸人人生

芸人

 

今日は、「ぺっこり深々88°」でお馴染みの”飯尾 和樹”さんに注目してみたよ!ぺこり!

みんな大好き”飯尾”さんの、後からジワジワくるギャグ。わたくしの大好きな芸人さんの一人であります。
20代、30代は、いまいち?で、いろいろ模索しながら「芸人」という仕事を続けていらっしゃる”飯尾”さんの、のんびりしたお人柄の魅力をご紹介できたらと思います。

”飯尾和樹”さんの人物紹介

”飯尾和樹”(いいお かずき)本名です。
1968年12月22日生まれで、現在55歳のおじさんです。

”飯尾”さんの生まれた1968年には、6月に小笠原諸島が日本に復帰!12月10日東京都府中市で3億円強奪事件!12月21日アメリカのアポロ8号打ち上げ、有人飛行で人類初の月周回軌道に乗る!などなど、歴史に残る出来事があった激動の時代と言われた年なのです!

やぎ座の、O型
身長 173cm・体重 75kg(ちょっぴり肥満気味・・・)
足のサイズ は27cm(プロフィールに足のサイズ必要かな・・・)

東京都世田谷区下馬の出身(5歳の頃から)お父様が一大決心して、夢のマイホームを建ててくれました。
ご両親は、公務員。3人兄弟の長男さん
”飯尾”さんのママさんは、仕事の傍らママさんバレーに励んでおられたそうで、練習に行く前のユニフォームのブルマ姿で夕食を作っていたそうです。
パワフルなママさんですね!

”飯尾”さんの通った小学校は「世田谷区駒繁小学校」

小さいころから「バラエティー番組」が大好きだった”飯尾”さん。”伊東四朗”さんと”故・小松政夫”さんの『みごろ! たべごろ! 笑いごろ!』のコントが大好きで、いまでも鮮明に覚えているそうですよ。

reference image

小学生の頃に「ロン麻雀殺人事件」というコントを披露して、校長室呼び出されたこともある、ひょうきんな少年だったようです。

小学生の頃は、ヤクルトスワローズのファンで、少年野球チームで頑張ってました!しかし、チーム名は「あしげ」・・・下馬の名所の「芦毛塚」(あしげのつか)にちなんで付けられたそうですが、試合の時にアナウンスでチーム名を紹介されるのが、ちょっぴり恥ずかしかったそうです。

”飯尾”さんの通った中学校は「世田谷区駒留中学校」

中学2年か3年生の頃に、愛犬のお散歩中、大豪邸の前で用を足してしまって困った飯尾少年・・・そこへ家主が表れて親切に後片付けをしてくれたあげく、お土産にアメを1袋持たせてくれた思い出があります。
実はその方、有名人の”小林幸子”さんだったそうです!!

愛犬のお散歩コースに”小林幸子”さんのご自宅があるなんて、緊張しちゃいますね!
このエピソードですが”飯尾”さんがTVに出るようになって、ある番組で”小林幸子”さんにお会いした時に話題にしたら、”小林幸子”さんが覚えていてくれたそうです。

”飯尾”さんの通った高校は「東京学園高校」

高校時代の飯尾さんは、モテなくて、『ラブレターもらったらどんな気持ちなんだろう?』とどんな気持ちになるのか、知りたくて部活(バレーボール部)の練習試合の相手のマネージャーの女の子がきれいだったから、その女の子の名前で、自分に宛てたラブレターを書いて、切手貼って、投函したことがあるんだって・・・

手紙が届くのを、心待ちにしてたんだけど、届いた手紙(自分で書いた・・・)の冒頭が「拝啓~」と書いてあるのを見て、「ラブレターに拝啓はないだろ・・・」と、そこで気持ちが覚めてしまいましたとさ・・・

reference image

なかなかの発想のセンスです(笑)

”飯尾和樹”さん芸能人になる

”飯尾”さんが芸能人になりたい!って思うようになったきっかけは、小学生時代です。

自転車に乗り、公演に釣りに行った帰り道、信号待ちをしていたら、バイクがブォンって来て「この人カッコイイ~」と思ったら、なんと”松田優作”さんだったのです!
『松田優作さん!』声をかけたら『おう、そうだよ』って答えてくれて『どこ行くんですか?』って聞いたら『あっち』って言って走り去って行ったそうです!

reference image

その後、「近所に松田という表札を探しまくったけど、全然いなかった」そうです・・・
飯尾少年の大切な思い出ですね。

偶然出会った”松田優作”さん。よほどかっこよかったんですね、彼に憧れて芸能界に入ることが”飯尾”さんの目標になったそうです。

高校卒業後に進学しないで「お笑い芸人になろうと思ってる!」と、家族で夕食の鍋を囲んでいる時に宣言!ママさんは反対したけど、パパさんは「いいんじゃないか・・・」と受け入れてくれたそう。

高校卒業後は、ママさんの実家の一軒家で一人暮らし開始!
芸人になるには何をしたらよいやら?分からなかった飯尾少年は、とりあえず劇団に入ったそうですが、ピチッとした全身タイツで踊らなきゃいけないレッスンがあり、それが嫌で3カ月ぐらいでやめたそうです。

う~~ん、どんな志向の劇団だったのでしょうね・・・

「やっぱり芸能界には向いてない・・・」公務員でも目指そうか!と大学進学しようとしたけど、大学の方から断られたそうです。(受からなかったってことですね)

そんな時に、先輩から「ここに電話してみたら?」と勧められた今の事務所”浅井企画”に早速電話!面接の時の受け答えの返事がよかったのが理由で、即採用してもらえたそうです。

高校時代の部活で先輩後輩の厳しかった時代に身についた、「ハイ!」「ハイ!」っていう体育会系のノリの返事を気に入ってもらえたらしいです。

reference image

なんとも、”飯尾”さんらしいエピソードばかりですね!
ちなみに、「もう1人、返事がよくて入ったヤツに会わせるから」って、会ったのが”ウド鈴木”さんだったそうすよ。(笑)

1990年、浅井企画に所属。1991年、お笑いコンビ「チャマーず」を結成しデビューを果たすも、翌年解散。1992年、村山ひとしと「La.おかき」を結成。その後、1997年のLa.おかき解散後からしばらくは1人で活動。2000年に同じ事務所のやすと「ずん」を結成し現在に至る。ボケ担当。
文集オンライン:引用

43歳で結婚

2012年に、43歳でエステティシャンの女性と結婚!

11年間付き合って、一度フラれてしまった彼女にプロポーズしてゴールイン!
どうしてフラれてしまったのか?理由はお調べできませんでした・・・

20代は、舞台に上がっても地味すぎて『見える透明人間』と言われ、暇すぎて床ずれができるほどゴロゴロ寝てた時代。

30代も、パッとしない状態が長く続いて、40歳になったころには家賃が払えない状態になってしまった”飯尾”さん。
後輩芸人が立ち上げた清掃会社でバイトさせてもらっていた時期もあるとか。

しかし、仲良くしていた冠番組を持ってる芸人さんや、以前一緒に仕事をしたことのあるスタッフさんが番組に呼んでくれたりして、少しずつお仕事が増えて行った結果、彼女にプロポーズ!”飯尾”さんの地道な努力が実を結んだんですね。

”飯尾和樹”まとめ

1番の師匠は同じ事務所の先輩”関根勤”さんだという”飯尾”さん。

現在は、TV・CM・映画・ドラマと、芸人だけでなく、役者もこなし活躍の場がずんずん広がっていますね。

高校2年の時に、喫茶店デビューして、今では「芸能界一 喫茶店を愛する男”飯尾”」と言われるほどの喫茶店大好き芸人として有名人になりましたね。
『飯尾和樹のずん喫茶』(BSテレ東)が2022年4月からレギュラー化されています。

今後も、ずんずん活躍して楽しませていただければと思います。

最後まで読んでいただけて光栄です。
また、ちょいちょいお立ち寄りくださいね。

タイトルとURLをコピーしました